【日本国憲法即ち仏法すなわち仏教聖典也】
ameblo.jp/hougaku-masahiko/entry-12683435775.html
[自民党 異端の本流 村上誠一郎(自由民主党)【山田厚史のここが聞きたい】20210609]
youtube.com/watch?v=18yFSuTACLU&t=3s
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【和を以て貴しとなす。あつく三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり。】
hougakumasahiko.muragon.com/entry/9.html
仏教聖典p229第三節もろ人のために
一、(長阿含經第二、遊行經)
ここに国家を栄えさせる七つの教えがある。
一つには、国民はしばしば会合して政治を語り、国防を厳にして自ら守り、
二つには、上下心を一つにして相和し、ともに国事を議し、
三つには、国風を尊んでみだりにあらためず、礼を重んじ義を尊び、
四つには、男女の別を正し、長幼の序を守って、よく社会と家庭の純潔を保ち、
五つには、父母に孝し、師長に仕え、
六つには、祖先の祭壇をあがめて祭儀を行い、
七つには、道を尊び徳をあがめ、徳の高い師について教えを仰ぎ、厚く供養することである。
どんな国でも、
この七つの教えをよく守って破ることがないならば、
その国の栄えることは疑いがなく、
外国の侮りを受けることはないであろう。
二、(華厳経第三四、入法界品)
昔、大光王は、自分の王道を次のように説いた。
「自分の国家を治める道は、まず自分を修めることである。
自ら慈の心を養って、この心をもって国民に臨み、
人びとを教え導いて心の垢を除き去り、
身と心を和らげて、
世の中の楽しみにまさる正しい教えの喜びを得させる。
また、貧しいものが来たときには、蔵を開いて心のままに取らせる。
そしてこれを手がかりとして、すべての悪から遠ざかるように戒める。
人びとは各々その心をもととして、見るところを異にする。
この城中の民にしても、この都を美しいと見るものもあれば、また汚いと見るものもある。
これは各々、その心、その環境がそうさせるのである。
教えを尊び、心の正しい素直な人は、
木石にも瑠璃の光を見るのであるが、
欲が深くて自分を修めることを知らない者は、
どんな立派な御殿でもなお美しいと見ることはできない。
国民の生活は、万事みなこのとおり、
心がもとになっているから、
わたしは国を治める大もとを、
民にその心を修めさせることに置いている。」
三、(金光明經第一二、四天王護国品)
大光王のことばどおり、
政道の大もとは、民にその心を修めさせることにある。
この心を修めることはさとりの道に進むことであるから、
政治の上に立つ人は、
まず仏の教えを信じなければならない。
もし政治を行う人が、
仏を信じ、
教えを信じて、
慈悲深く徳のある人を敬い、これに供養するならば、
敵もなく、
恨みもなく、
国家は必ず栄えるに違いない。
そして、
国が富み栄えるならば、
他の国を貪り攻めることもなく、
また他を攻める武器の必要もなくなるであろう。
したがって国民も満足して楽しみを受け、
上下和らいでむつみあい、
善を増し徳を積んで互いに敬愛し喜び合うから、
いよいよ人は栄え、
寒さ暑さもととのい、
日も月も星も常の程度を失わず、
風雨が時に従うようになり、
こうしていろいろの災いも遠ざかるようになるであろう。
四、(大薩遮尼揵子所説經)
王たるものの勤めは、
民を守ることにある。
王は民の父母であり、
教えによって民を守るからである。
民を養うことは、
父母が赤子を養うようなもので、
父母が赤子のことばを待たず、
湿ったものを取り替えて新しい布を当てがうように、
いつも民に幸いを与えて悩みを去るよう慈しみ養うのである。
まことに王は、
民をもって国の宝とする。
これは、
民が安らかでなければ政道が立たないからである。
だから、
王たるものは、
民を憂えてしばらくも心を離さない。
民の苦楽を察し、
民の繁栄をはかり、
そのためには常に
水を知り、
風、雨を知り、
実りの善悪を知り、
日照りを知り、
民の憂いと喜びを知り、
罪の有無と軽重、
功績の有無などをよく知って、
賞罰の道を明らかにする。
このように
民の心を知って、
与えなければならないものは時をはかって与え、
取るべきものはよく量って取り、
民の利を奪わないよう、
よく税を軽くして
民を安らかにする。
王は力と権威によって
民を守り、このようにして
民の心になって
民をよく見守るものが
王と呼ばれる。
---------------------------------------------------------------------------
五、この世の中の王を転輪王というが、
転輪王とはその家系が正しく、
身分が尊くてよく四辺を統御し、
また教えを守るところの王である。
この王のゆくところには、
戦いもなく恨みもなく、
よく教えによって徳をしき、
民を安らかにして
邪と悪を下す。
また転輪王は、
殺さず、
盗まず、
よこしまな愛欲を犯さず、
偽り、
悪口、
二枚舌、
むだ口を言わず、
貪らず、
瞋らず、
愚かでない。
この十善を行って
民の十悪を去らせる。
また、
教えによって政治を正すから、
天下において思いのままになすことができ、
そのゆくところには戦いがなく、
恨みもなく、
互いに相犯すこともない。したがって、
民は和らぎ、
国は安らいで、
民にいよいよその生を楽しませることができる。
だから教えを守る王といわれるのである。
また転輪王は、
王の中の王であるから、
もろもろの王はみなその徳を喜び、
その教えに従って各々その国を治める。
このように
転輪王は、
もろもろの王をして各々その国に安んじさせ、
正しい教えのもとに王の任を果たさせる。
六、また王は
罪を裁決するにも、
慈悲の心をもととしなければならない。
明らかな智慧をもって
よく観察し,
五つの原則をもって
よく処置しなければならない。
五つの原則というのは、
一つには、
実によって不実によらない。これは、
事実を調べて、その事実によって処断することである。
二つには、
時(じ)によって非時(ひじ)によらない。これは、
王に力のあるときが時(じ)であり、
力のないときが非時(ひじ)である。
力のあるときは罰しても効果があるが、
力のないときには罰しても混乱があるだけであるから、
時を待たなければならない。
三つには、
動機によって結果によらない。これは、
罪を犯すものの
心に立ち入って、それが
故意であるか
故意でないかを
見きわめ、
故意のことでなければ
許すのをいう。
四つには、
親切なことばによって
あらいことばによらない。これは、
罪が
規則のどれに当たるかを
明らかにして
罪以上の
罰を与えないようにし、また
柔らかい
優しいことばで
諭してその罪を
覚(さと)らせるのをいう。
五つには、
慈悲の心によって
瞋(いか)りの心によらない。
罪を憎んで
人を憎まず、
慈悲の心をもととして、
罪を犯したものにその罪を
悔いあらためさせるように
仕向けるのである。
七、もし王の重臣であって
国家の大計を思わず、ただ
自分の利ばかりを求め、
賄賂を取って
政道を曲げ、
人民の気風を
頽廃させるならば、
人民は互いに
相欺くようになり、
強い者は弱い者をしいたげ、
貴い者は卑しい者を軽んじ、
富んだ者は貧しい者を欺き、
曲がった道理をもって正しいものを
曲げることになるから、
災いがいよいよ
増長するようになる。
すると
忠実な重臣は隠れ退き、
心あるものも危害を怖れて
沈黙し、ただ
へつらう者だけが
政権をとって、
みだりに公権を用いて
私腹を肥やし、
民の貧しさは少しも
救われないようになる。
このようになると、
政令は行われなくなり、
政道はまったくゆるんでしまう。
このような悪人こそ、
民の幸福を奪う盗賊であるから、
国家のもっとも大きな
悪賊といわなければならない。なぜなら、
上を欺き
下を乱して、
一国の災いの源となるからである。
王はこのような者を、
もっとも厳しく
処罰しなければならない。
また
教えによって政治をしく王の国において
父母の生育の恩を思わず
妻子にだけ心を傾けて
父母を養わず、あるいはまた
父母の所有を奪ってその教えに
従わないものは、これを
もっとも大きな悪の中に
数えなければならない。
なぜなら、
父母の恩はまことに重くて、
一生心を尽くして孝養しても、
し尽くせないものだからである。
主君に対して忠でなく、
親に対して孝でない者は、
もっとも重い罪人として
処罰しなければならない。
また
教えによって政治をしく王の国の中においては、
仏と
教えと
教団(仏法僧)の
三宝に対して
信ずる心がなく、
寺を壊し経を焼き、
僧侶を捕らえて駆使するなど
仏の教えを
破る行いをする者は、
もっとも重い罪の者である。
なぜなら、これらは
すべての善行のもとである
民の信念を覆すものだからである。
これらの者は、みなすべての
善根を焼き尽くして、自ら自分の
穴を掘るものである。
この
三種の罪がもっとも
重く、したがってもっとも
厳しく
処罰しなければならない。
その他の
罪は、これらに比べると、なお
軽いといわなければならない。」
--------------------------------------------
八、正しい教えを守る王に対して
逆らう賊が起こるか、あるいは
外国から攻め侵すものがあるときは、
正しい教えの王は
三種の思いを持たなければならない。
それは、
第一には、
逆賊または外敵は、ただ人を
損い人民を
虐げることばかりを
考えている。自分は
武力をもって民の苦しみを
救おう。
第二には、もし
方法があるなら、
刃(やいば)を
動かさないで、逆賊や外敵を
平らげよう。
第三には、
敵をできるだけ
生け捕りにして、
殺さないようにし、そしてその武力を
そごう。
王はこの
三つの心を起こして、それから後に
部署を定め
訓令を与えて
戦いにつかせる。
このようにするとき、
兵はおのずから王の威徳を
おそれ敬ってよくその
恩になずき、また戦いの性質をさとって王を
助け、そして
王の慈悲が後顧の
憂いをなくすことを
喜びながら、王の恩に
報いるために
戦いに従うから、その戦いはついに
勝利を得るだけでなく、
戦いもかえって
功徳となるであろう。
↓
私蔵の昭和60年発行仏教聖典237版全文をブログへ数ページ転載写経しました。
hougakumasahiko.muragonn.com/entry/132.html
----------------------------------
@ジャスタウェイの羅針盤 さま
youtube.com/watch?v=SfBUQZhQ-H8&lc=Ugy6g_QVlzZFPVpWXI14AaABAg.9NPAXPk8eik9PAi7eXP-XL
仏の教えは秘密がないので簡単です。
四正勤(ししょうごん)の四つの正しいお勤めを一意専心続けていくだけです。
【うつみん(内海 聡)のブログ
「 ジャンキーとは何か?」のコメント一覧】
touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-442.html?sp&m2=res
ほうがくしょうげん拝さん
仏心慈悲布施菩薩常民大和民族の先祖代々人主主義仏国土庶民社会
「仏教伝道協会について」
仏教伝道協会のことを語るには、先ず一人の実業家沼田恵範氏(株式会社三豊製作所創立者)のことを語らなければならない。
彼は、今から四十余年前に現在の事業を始めたとき以来、事業の繁栄は天・地・人により、人間の完成は智慧と慈悲と勇気の三つが整ってのみできるものであるとして、技術の開発と心の開発をめざして会社を設立した。
世界の平和は、人間の完成によってのみ得られる。
人間の完成をめざす宗教に、仏教がある。
彼は四十余年にわたる会社経営のかたわら、仏教伝道のために仏教音楽の普及と近代化を志し、仏教聖画や仏教聖典の普及に努めてきたが、一九六五年一二月にこれら一切の仏教伝道事業を組織化し、これを世界平和の一助とするために私財を寄進した。
かくて仏教伝道協会は、仏教伝道の公の機関として発足した。
仏陀の教えを遍(あまね)く一切に及ぼして、すべての同胞*と共にこの大智と大悲の光に浴するにはどうしたらよいか。
仏教伝道協会は創設者の意志を引き継ぎ、この問題を永遠に問い続けてゆこうとするものである。
約言すれば、仏教普及のためのあらゆる努力が仏教伝道協会の事業のすべてである。
この聖典は日本の長い歴史をふり返ったとき、我々が仏教文化をその誇りとしながら、真に日本人の教典といえるものを持たなかったことを反省して生まれたものである。
したがってこの聖典は、だれでも読める、読んで心の糧となる、どんな人でも、その机上に置いて、また外出時に携え、生きた釈尊の大人格に触れることができるように作られている。
仏教伝道協会は、この聖典が一つでも多くの家庭に入り、一人でも多くの同胞の手に渡り、すべての人がひとしく教えの光に浴することのできる日のくることを願ってやまない。
合掌
__________
以上、仏教聖典*より豊岳正彦が転記しました。
用語註___*同胞
同胞とは父母の細胞を同じくする生物種のことであり、ここではこの世のすべての人間を意味します。
同国人のことをしめす同朋ではありません。
用語註___*仏教聖典
仏教伝道協会
bdk.or.jp/buy/bukkyoseiten.html
出版事業部
sales@bdk.or.jp
2016/06/0504:50 URL 編集
ほうがくしょうげん拝さん
竹箒塵取和顔愛日本語CCから
masa-ho@sky.icn-tv.ne.jp
「仏教伝道協会について」の転記に日本語変換ミスがありました。
愛日本語CCなのにね(笑)
_______________________________
この聖典は日本の長い歴史をふり返ったとき、我々が仏教文化をその誇りとしながら、
真に日本人の「経典」といえるものを持たなかったことを反省して生まれたものである。
_______________________________
ウインドウズPCキーボード機械入力など、日本伝統の手書きに比べれば愚劣極まりない「白痴化」作業です。
やはりフリーメーソン伊藤博文がこの国の政府に持ちこんだ政教一致悪魔カルト一神教による「廃仏毀釈が諸悪の根源」ですね、
故瓜生宗介先生のお言葉がこの世の真理です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四正勤
これから起ころうとする悪は、起こらない先に防ぐ。
「悪を予防するFluワクチン皮内接種」
すでに起こった悪は、断ち切る。
「悪を断ちきる断捨離NHK解体廃棄」
これから起ころうとする善は、起こるようにしむける。
「竹箒塵取和顔愛日本語フルオープンCCネット口コミ三宝帰依活動」
すでに起こった善は、いよいよ大きくなるように育てる。
「三宝帰依仏心仏法日本国憲法を地球憲法にしましょう」
拈華微笑 不二院顧心正顔居士ほうがくしょうげん拝
2016/06/0506:27 URL 編集
---------------------------------------
昭和60年発行仏教聖典237版全文をブログへ数ページ転載写経しました。
返信削除hougakumasahiko.muragonn.com/entry/132.html
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@ジャスタウェイの羅針盤 さま
youtube.com/watch?v=SfBUQZhQ-H8&lc=Ugy6g_QVlzZFPVpWXI14AaABAg.9NPAXPk8eik9PAi7eXP-XL
仏の教えには秘密がないので簡単です。
四正勤(ししょうごん)の四つの正しいお勤めを一意専心続けていくだけです。
【うつみん(内海 聡)のブログ
「 ジャンキーとは何か?」のコメント一覧】
touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-442.html?sp&m2=res
ほうがくしょうげん拝さん
仏心慈悲布施菩薩常民大和民族の先祖代々人主主義仏国土庶民社会
「仏教伝道協会について」
仏教伝道協会のことを語るには、先ず一人の実業家沼田恵範氏(株式会社三豊製作所創立者)のことを語らなければならない。
彼は、今から四十余年前に現在の事業を始めたとき以来、事業の繁栄は天・地・人により、人間の完成は智慧と慈悲と勇気の三つが整ってのみできるものであるとして、技術の開発と心の開発をめざして会社を設立した。
世界の平和は、人間の完成によってのみ得られる。
人間の完成をめざす宗教に、仏教がある。
彼は四十余年にわたる会社経営のかたわら、仏教伝道のために仏教音楽の普及と近代化を志し、仏教聖画や仏教聖典の普及に努めてきたが、一九六五年一二月にこれら一切の仏教伝道事業を組織化し、これを世界平和の一助とするために私財を寄進した。
かくて仏教伝道協会は、仏教伝道の公の機関として発足した。
仏陀の教えを遍(あまね)く一切に及ぼして、すべての同胞*と共にこの大智と大悲の光に浴するにはどうしたらよいか。
仏教伝道協会は創設者の意志を引き継ぎ、この問題を永遠に問い続けてゆこうとするものである。
約言すれば、仏教普及のためのあらゆる努力が仏教伝道協会の事業のすべてである。
この聖典は日本の長い歴史をふり返ったとき、我々が仏教文化をその誇りとしながら、真に日本人の教典といえるものを持たなかったことを反省して生まれたものである。
したがってこの聖典は、だれでも読める、読んで心の糧となる、どんな人でも、その机上に置いて、また外出時に携え、生きた釈尊の大人格に触れることができるように作られている。
仏教伝道協会は、この聖典が一つでも多くの家庭に入り、一人でも多くの同胞の手に渡り、すべての人がひとしく教えの光に浴することのできる日のくることを願ってやまない。
合掌
__________
以上、仏教聖典*より豊岳正彦が転記しました。
用語註___*同胞
同胞とは父母の細胞を同じくする生物種のことであり、ここではこの世のすべての人間を意味します。
同国人のことをしめす同朋ではありません。
用語註___*仏教聖典
仏教伝道協会
bdk.or.jp/buy/bukkyoseiten.html
出版事業部
sales@bdk.or.jp
2016/06/0504:50 URL 編集
ほうがくしょうげん拝さん
竹箒塵取和顔愛日本語CCから
masa-ho@sky.icn-tv.ne.jp
「仏教伝道協会について」の転記に日本語変換ミスがありました。
愛日本語CCなのにね(笑)
_______________________________
この聖典は日本の長い歴史をふり返ったとき、我々が仏教文化をその誇りとしながら、
真に日本人の「経典」といえるものを持たなかったことを反省して生まれたものである。
_______________________________
ウインドウズPCキーボード機械入力など、日本伝統の手書きに比べれば愚劣極まりない「白痴化」作業です。
やはりフリーメーソン伊藤博文がこの国の政府に持ちこんだ政教一致悪魔カルト一神教による「廃仏毀釈が諸悪の根源」ですね、
故瓜生宗介先生のお言葉がこの世の真理です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四正勤
これから起ころうとする悪は、起こらない先に防ぐ。
「悪を予防するFluワクチン皮内接種」
すでに起こった悪は、断ち切る。
「悪を断ちきる断捨離NHK解体廃棄」
これから起ころうとする善は、起こるようにしむける。
「竹箒塵取和顔愛日本語フルオープンCCネット口コミ三宝帰依活動」
すでに起こった善は、いよいよ大きくなるように育てる。
「三宝帰依仏心仏法日本国憲法を地球憲法にしましょう」
拈華微笑 不二院顧心正顔居士ほうがくしょうげん拝
2016/06/0506:27 URL 編集
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【日本国憲法即ち仏法すなわち仏教聖典也】
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[自民党 異端の本流 村上誠一郎(自由民主党)【山田厚史のここが聞きたい】20210609]
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【和を以て貴しとなす。あつく三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり。】
hougakumasahiko.muragon.com/entry/9.html
仏教聖典p229第三節もろ人のために
一、(長阿含經第二、遊行經)
ここに国家を栄えさせる七つの教えがある。
一つには、国民はしばしば会合して政治を語り、国防を厳にして自ら守り、
二つには、上下心を一つにして相和し、ともに国事を議し、
三つには、国風を尊んでみだりにあらためず、礼を重んじ義を尊び、
四つには、男女の別を正し、長幼の序を守って、よく社会と家庭の純潔を保ち、
五つには、父母に孝し、師長に仕え、
六つには、祖先の祭壇をあがめて祭儀を行い、
七つには、道を尊び徳をあがめ、徳の高い師について教えを仰ぎ、厚く供養することである。
どんな国でも、
この七つの教えをよく守って破ることがないならば、
その国の栄えることは疑いがなく、
外国の侮りを受けることはないであろう。
二、(華厳経第三四、入法界品)
昔、大光王は、自分の王道を次のように説いた。
「自分の国家を治める道は、まず自分を修めることである。
自ら慈の心を養って、この心をもって国民に臨み、
人びとを教え導いて心の垢を除き去り、
身と心を和らげて、
世の中の楽しみにまさる正しい教えの喜びを得させる。
また、貧しいものが来たときには、蔵を開いて心のままに取らせる。
そしてこれを手がかりとして、すべての悪から遠ざかるように戒める。
人びとは各々その心をもととして、見るところを異にする。
この城中の民にしても、この都を美しいと見るものもあれば、また汚いと見るものもある。
これは各々、その心、その環境がそうさせるのである。
教えを尊び、心の正しい素直な人は、
木石にも瑠璃の光を見るのであるが、
欲が深くて自分を修めることを知らない者は、
どんな立派な御殿でもなお美しいと見ることはできない。
国民の生活は、万事みなこのとおり、
心がもとになっているから、
わたしは国を治める大もとを、
民にその心を修めさせることに置いている。」
三、(金光明經第一二、四天王護国品)
大光王のことばどおり、
政道の大もとは、民にその心を修めさせることにある。
この心を修めることはさとりの道に進むことであるから、
政治の上に立つ人は、
まず仏の教えを信じなければならない。
もし政治を行う人が、
仏を信じ、
教えを信じて、
慈悲深く徳のある人を敬い、これに供養するならば、
敵もなく、
恨みもなく、
国家は必ず栄えるに違いない。
そして、
国が富み栄えるならば、
他の国を貪り攻めることもなく、
また他を攻める武器の必要もなくなるであろう。
したがって国民も満足して楽しみを受け、
上下和らいでむつみあい、
善を増し徳を積んで互いに敬愛し喜び合うから、
いよいよ人は栄え、
寒さ暑さもととのい、
日も月も星も常の程度を失わず、
風雨が時に従うようになり、
こうしていろいろの災いも遠ざかるようになるであろう。
四、(大薩遮尼揵子所説經)
王たるものの勤めは、
民を守ることにある。
王は民の父母であり、
教えによって民を守るからである。
民を養うことは、
父母が赤子を養うようなもので、
父母が赤子のことばを待たず、
湿ったものを取り替えて新しい布を当てがうように、
いつも民に幸いを与えて悩みを去るよう慈しみ養うのである。
まことに王は、
民をもって国の宝とする。
これは、
民が安らかでなければ政道が立たないからである。
だから、
王たるものは、
民を憂えてしばらくも心を離さない。
民の苦楽を察し、
民の繁栄をはかり、
そのためには常に
水を知り、
風、雨を知り、
実りの善悪を知り、
日照りを知り、
民の憂いと喜びを知り、
罪の有無と軽重、
功績の有無などをよく知って、
賞罰の道を明らかにする。
このように
民の心を知って、
与えなければならないものは時をはかって与え、
取るべきものはよく量って取り、
民の利を奪わないよう、
よく税を軽くして
民を安らかにする。
王は力と権威によって
民を守り、このようにして
民の心になって
民をよく見守るものが
王と呼ばれる。
---------------------------------------------------------------------------
五、この世の中の王を転輪王というが、
返信削除転輪王とはその家系が正しく、
身分が尊くてよく四辺を統御し、
また教えを守るところの王である。
この王のゆくところには、
戦いもなく恨みもなく、
よく教えによって徳をしき、
民を安らかにして
邪と悪を下す。
また転輪王は、
殺さず、
盗まず、
よこしまな愛欲を犯さず、
偽り、
悪口、
二枚舌、
むだ口を言わず、
貪らず、
瞋らず、
愚かでない。
この十善を行って
民の十悪を去らせる。
また、
教えによって政治を正すから、
天下において思いのままになすことができ、
そのゆくところには戦いがなく、
恨みもなく、
互いに相犯すこともない。したがって、
民は和らぎ、
国は安らいで、
民にいよいよその生を楽しませることができる。
だから教えを守る王といわれるのである。
また転輪王は、
王の中の王であるから、
もろもろの王はみなその徳を喜び、
その教えに従って各々その国を治める。
このように
転輪王は、
もろもろの王をして各々その国に安んじさせ、
正しい教えのもとに王の任を果たさせる。
六、また王は
罪を裁決するにも、
慈悲の心をもととしなければならない。
明らかな智慧をもって
よく観察し,
五つの原則をもって
よく処置しなければならない。
五つの原則というのは、
一つには、
実によって不実によらない。これは、
事実を調べて、その事実によって処断することである。
二つには、
時(じ)によって非時(ひじ)によらない。これは、
王に力のあるときが時(じ)であり、
力のないときが非時(ひじ)である。
力のあるときは罰しても効果があるが、
力のないときには罰しても混乱があるだけであるから、
時を待たなければならない。
三つには、
動機によって結果によらない。これは、
罪を犯すものの
心に立ち入って、それが
故意であるか
故意でないかを
見きわめ、
故意のことでなければ
許すのをいう。
四つには、
親切なことばによって
あらいことばによらない。これは、
罪が
規則のどれに当たるかを
明らかにして
罪以上の
罰を与えないようにし、また
柔らかい
優しいことばで
諭してその罪を
覚(さと)らせるのをいう。
五つには、
慈悲の心によって
瞋(いか)りの心によらない。
罪を憎んで
人を憎まず、
慈悲の心をもととして、
罪を犯したものにその罪を
悔いあらためさせるように
仕向けるのである。
七、もし王の重臣であって
国家の大計を思わず、ただ
自分の利ばかりを求め、
賄賂を取って
政道を曲げ、
人民の気風を
頽廃させるならば、
人民は互いに
相欺くようになり、
強い者は弱い者をしいたげ、
貴い者は卑しい者を軽んじ、
富んだ者は貧しい者を欺き、
曲がった道理をもって正しいものを
曲げることになるから、
災いがいよいよ
増長するようになる。
すると
忠実な重臣は隠れ退き、
心あるものも危害を怖れて
沈黙し、ただ
へつらう者だけが
政権をとって、
みだりに公権を用いて
私腹を肥やし、
民の貧しさは少しも
救われないようになる。
このようになると、
政令は行われなくなり、
政道はまったくゆるんでしまう。
このような悪人こそ、
民の幸福を奪う盗賊であるから、
国家のもっとも大きな
悪賊といわなければならない。なぜなら、
上を欺き
下を乱して、
一国の災いの源となるからである。
王はこのような者を、
もっとも厳しく
処罰しなければならない。
また
教えによって政治をしく王の国において
父母の生育の恩を思わず
妻子にだけ心を傾けて
父母を養わず、あるいはまた
父母の所有を奪ってその教えに
従わないものは、これを
もっとも大きな悪の中に
数えなければならない。
なぜなら、
父母の恩はまことに重くて、
一生心を尽くして孝養しても、
し尽くせないものだからである。
主君に対して忠でなく、
親に対して孝でない者は、
もっとも重い罪人として
処罰しなければならない。
また
教えによって政治をしく王の国の中においては、
仏と
教えと
教団(仏法僧)の
三宝に対して
信ずる心がなく、
寺を壊し経を焼き、
僧侶を捕らえて駆使するなど
仏の教えを
破る行いをする者は、
もっとも重い罪の者である。
なぜなら、これらは
すべての善行のもとである
民の信念を覆すものだからである。
これらの者は、みなすべての
善根を焼き尽くして、自ら自分の
穴を掘るものである。
この
三種の罪がもっとも
重く、したがってもっとも
厳しく
処罰しなければならない。
その他の
罪は、これらに比べると、なお
軽いといわなければならない。」
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八、正しい教えを守る王に対して
逆らう賊が起こるか、あるいは
外国から攻め侵すものがあるときは、
正しい教えの王は
三種の思いを持たなければならない。
それは、
第一には、
逆賊または外敵は、ただ人を
損い人民を
虐げることばかりを
考えている。自分は
武力をもって民の苦しみを
救おう。
第二には、もし
方法があるなら、
刃(やいば)を
動かさないで、逆賊や外敵を
平らげよう。
第三には、
敵をできるだけ
生け捕りにして、
殺さないようにし、そしてその武力を
そごう。
王はこの
三つの心を起こして、それから後に
部署を定め
訓令を与えて
戦いにつかせる。
このようにするとき、
兵はおのずから王の威徳を
おそれ敬ってよくその
恩になずき、また戦いの性質をさとって王を
助け、そして
王の慈悲が後顧の
憂いをなくすことを
喜びながら、王の恩に
報いるために
戦いに従うから、その戦いはついに
勝利を得るだけでなく、
戦いもかえって
功徳となるであろう。
↓
私蔵の昭和60年発行仏教聖典237版全文をブログへ数ページ転載写経しました。
hougakumasahiko.muragonn.com/entry/132.html
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