明治時代に生まれた童謡『われは海の子』は、日本の歌百選に選ばれた名曲です。夏らしい鮮やかな海の風景と少年の成長を描く歌詞の意味を詳しく紐解きます。
童謡『われは海の子』は明治43年発行の『尋常小学読本唱歌』で発表された文部省唱歌。
2007年には日本の歌百選に選出された日本を代表する曲の1つです。
作詞者・作曲者ともに長らく不明とされていましたが、当時新聞記者でのちに児童文学者となった宮原晃一郎が文部省の新体詩懸賞募集に応募した詩に曲がつけられ、国文学者の芳賀矢一が編曲したようです。
宮原晃一郎の出身地である鹿児島市の祇園之洲公園の海辺には歌碑が立てられています。
この楽曲は教科書には3番まで掲載されていますが、実は元々は7番までありました。
しかし、4番以降の歌詞の国防思想や軍艦などのフレーズが戦争をイメージさせるため、終戦後に全ての軍歌を禁止していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示により削除されました。
歌い続けられてきた歌詞がどのような内容なのか、意味を考察していきましょう。
われは海の子 歌詞
童謡
作詞 文部省唱歌
作曲 文部省唱歌
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我は海の子白波の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ
≪われは海の子 歌詞より抜粋≫
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1番の冒頭で「我は海の子」と歌われているように、これは浜辺で育った少年の歌です。
「白波のさわぐいそべの松原」は岩にぶつかり波しぶきが立つ海岸にある松林のことです。
「とまや(苫屋)」とは、菅や茅などを編んで作った苫で屋根をふいた粗末な家のこと。
海岸の松林に建つ煙の流れる粗末な家こそ、自分の懐かしい住家だと語っています。
自身が育った土地の景色を誇らしく思う少年の様子が見えてきますね。
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生れてしおに浴して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を
吸いてわらべとなりにけり
≪われは海の子 歌詞より抜粋≫
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「生まれてしおに浴(ゆあみ)して」というフレーズは、産湯として海水に浸かっていたことを表しています。
これが実際のことかは分かりませんが、それだけ海が身近な存在だったことが垣間見えるでしょう。
また「浪(波)」の音を子守歌の代わりに聞きながら過ごしていたようです。
のどかな海の景色を前に寄せては返す波の音だけが聴こえてくる様子は、想像するだけで気持ちが良いですよね。
千里とも言えるほどはるか遠くから流れてくる海の力を吸い込んで、立派な少年になったものだと感慨深く感じています。
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高く鼻つくいその香に
不断の花のかおりあり
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽と我は聞く
≪われは海の子 歌詞より抜粋≫
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「不断の花」とはほぼ一年中咲き続ける花のことで、不断桜などが有名です。
強い磯の香りに混じって、絶え間なく咲く花の香りが漂ってきます。
「いみじき楽」とは「素晴らしい音楽」という意味です。
それで後半部分は、海辺の松林の中を吹く風の音が素晴らしい音楽のように聞こえると歌っていることが分かります。
自然の香りや音を感じながら元気に成長する少年の姿が映し出されますね。
ちなみに、4番以降の歌詞ではこの少年が身も心も鍛え上げられた青年となり、戦争に出ていく一生が描かれています。
つまり『われは海の子』とは本来、海の男が海の国である日本を護ろうと勇ましく歌う曲なのです。
風情ある日本の名曲を聴こう
明治時代から続く『われは海の子』には、海の雄大な風景とその地で育った少年のいきいきとした姿が綴られていました。
難しい言葉が多いですが、意味が分かると日本らしい情緒を感じる童謡ですよね。
豊岳正彦
われは海の子
https://douyou-shouka.himawari-song.com/warewa-uminoko/
1910年(明治43年)発行の文部省『尋常小学読本唱歌』で発表さた文部省唱歌。
2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出。
作詞作曲者は不明だが、宮原晃一郎の原作を芳賀矢一が編曲したのではないかという説がある。
歌詞は7番まであったのですが、戦後に国防思想や軍艦など戦争をイメージさせるために、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示により歌詞が削られます。
1947年(昭和22年)以降、小学校では3番まで指導となりました。
歌詞と歌詞の意味
JASRAC作品コード: 005-0980-9 によると歌詞の著作権は消滅していますので、歌詞を記載します。
古い言葉が多く使われているので、意味もわかりにくいです。教科書ではひらがなで表記されている部分も、漢字に置き換えながら解説していきます。
1番(われは海の子〜)
我は海の子 白浪の
騒ぐ磯辺の 松原に
煙たなびく 苫屋こそ
我が懐かしき 住家なれ
- 磯辺:岩石の多い波打ち際
- たなびく:横に漂っていく
- 苫屋(とまや):粗末な家のこと。茅などを編んで作った「苫」を乗せた家
<歌詞の意味>
私は海の子供だ
波しぶきのあがる海岸の松林
煙が漏れて流れていく粗末な家は
私が住んでいた懐かしい家である
2番(生まれてしおに〜)
生れて潮に 浴して
浪を子守の 歌と聞き
千里寄せくる 海の気を
吸いて童と なりにけり
<歌詞の意味>
産まれたら海水で体を洗い
波の音を子守唄にして
はるか遠くから流れてくる海の力を吸い込み
立派な子供に成長したものだ
3番(高く鼻つく〜)
高く鼻つく 磯の香に
不断の花の 薫りあり
渚の松に 吹く風を
いみじき楽と 我は聞く
- 不断:絶え間ないこと。不断花という季節問わずに花が咲く植物もあるらしい。
- 渚:水際
- いみじき楽:素晴らしい音楽
<歌詞の意味>
強い磯の香りの中に、
絶え間なく咲き続ける花の香りが混ざっている
海沿いの松林に吹き抜ける風の音は
素晴らしい音楽として私には聞こえてくる
4番(丈余のろかい〜)
丈余の櫓櫂 操りて
行手定めぬ 浪まくら
百尋千尋 海の底
遊びなれたる 庭広し
- 丈余:丈=3Mの長さ。丈余で約3M。歌の中では、とても長いという意味。
- 浪まくら:船の中で寝る。船旅。
- 櫓櫂(ろかい):櫓と櫂。船をこぐ道具。ボートのオールに似ている。
- 百尋千尋:尋は両手を広げた長さの単位。尋が百も千もあるので、とても長いという意。ここでは海の底を指すので、とても深いということ。
<歌詞の意味>
長いオールを操って
行く先を決めずに船旅に出る
とても深い海の底は
遊び慣れた広い庭のようである
5番(幾年ここに〜)
幾年ここに 鍛えたる
鉄より堅き 腕あり
吹く塩風に 黒みたる
肌は赤銅 さながらに
- かいな=腕
- 赤銅(しゃくどう):銅に金を混ぜた合金。赤銅色の肌はかなり黒に近い=相当日焼けをしている。
<歌詞の意味>
何年もここで鍛えているので
鉄のように固い腕になった
潮風が吹き 日焼けをし
黒くなった肌は赤銅のようだ
6番(浪にただよう〜)
浪に漂う 氷山も
来らば来れ 恐れんや
海まき上ぐる 竜巻も
起らば起れ 驚かじ
<歌詞の意味>
もし氷山が漂って来たとしても
来るなら来い、私は恐れない
海から竜巻が起こったとしても
起こるなら起こるが良い 私は驚かない
7番(いで大船に〜)
いで大船に 乗出して
我は拾わん 海の富
いで軍艦に 乗組みて
我は護らん 海の国
- 拾わん:拾いましょう
- 護らん:守りましょう
- いで:さあ!いざ!の掛け声
<歌詞の意味>
さあ、大船に乗り
私は海産物を集めよう
いざ、軍艦に乗り
私は日本の国を守ろう
歌唱ポイント
海で逞しく育った男の歌です。力強く、勇ましく歌いましょう。
1小節の中の1拍目に、少しアクセントを置くと力強さが増すと思います。
情景がどんどん変化していきます。
子守唄や花の香りはなめらかに歌い、力強く活動する場面では力強く歌いましょう。
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父母恩重経
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html
仏説父母恩重経(和訓)
あとがき 法相宗管長薬師寺住職 高田 好胤
私は常づね、父母恩重経を一人でも多くの人々に読んで頂きたいと願っています。
しかし、佛壇店をたずねても般若心経、阿弥陀経、観音経等の経本は必ずおかれていますが、父母恩重経をおいて下さっているお店はまだまだ少ないようです。
そこでお佛壇を扱っておられる方々にお会いするたびに、温かい世づくりのお手伝いの為にぜひ父母恩重経もそろえてもらいたい旨お願いをし続けてきました。
今回(昭和五十八年)、全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、それを各佛壇店において下さる由、大変有難い事だと喜んでいます。
私は結婚式に招かれた時、必ず父母恩重経をお持ちして、新婚のお二人に差上げ、新婚旅行の道中、二人で心を合わせ、声を揃えて読んできてほしい。
そして帰ってからは座右の書の一冊に加えてもらいたいとお願いしています。
皆さんお読みになってきて下さるようで、新婚旅行の旅先から情景描写などをまじえてのお礼状を頂きます。
中には「こんなお経を読まされたばっかりに楽しかるべき新婚旅行が涙の旅行になってしまいました」と恨み状めいたものを手にする事もあります。
けれども私は「よかったなあ」と喜びの気持ちで読ませてもらっています。
親の恩の尊さを身近に説いたこのお経を、新婚の夫婦がいっしょに読んで催してくれるその涙は、人の心の中にその本質としてだれもが授かっているやさしさ、温かさに目ざめてもらったあらわれの涙であることがとてもうれしいのです。
ですから、どのお礼状も最後には「この涙は二人が生涯忘れてはならない大切な涙であると思いました」といった意味の言葉で結ばれているのが常です。
こうしたお礼状を頂くたびに、新しい人生の門出を父母恩重経でお手伝いする事のできた満足感が私の胸を潤してくれます。
ところでこのお経において親の苦労の具体的な姿は殆どが母の姿で説かれています。
お釈迦様のお母さま、摩耶夫人(まやぶにん)はお釈迦さまをお産みになって七日後に亡くなっておられます。
大変な難産だったのです。
そのせいか、父母恩重経の中に子供を産むときの母親は命がけである事を所をかえて二度も説かれています。
これはお釈迦様八十年のご生涯を通じてのご実感であったと思います。
こうしたご自分の命とひきかえに魂と肉体をこの世に生み出して下さったお母さまに何一つして差上げる事ができなかったお釈迦様のお気持ちが、お母さまに傾きっぱなしのままでこのお経が説かれている所以であると拝察されます。
同時にこのようにお釈迦さまがお母さまをお慕い続けられた飾り気のないおやさしいお気持ちがその底に流れているところに読む人の心を打つ所以があるのだと思います。
先年、父母恩重経を講義し、一冊にまとめて出版した本の題を「母」(徳間書店刊)とした理由もここにあります。
諸人(もろびと)よ 思い知れかし 己(おの)が身の
誕生の日は 母苦難(ははくなん)の日
これはよみ人しらずのお歌ですが、まさに父母恩重経の精神(こころ)さながらの一首であります。(水戸黄門光圀公の作:豊岳正彦補記)
私は両親の命日と自分の誕生日に父母恩重経を読誦(どくじゅ)しております。
毎年三月二十三日、母の祥月命日には六つ年上の姉と位牌を前に読誦致します。
やはり姉の方が早く声をつまらせてしまいます。
するとそれにつりこまれて私も胸に熱いものがこみ上げてきて、最後は共にとぎれとぎれに読み終えるのがやっとです。
はらからの情愛に心潤さずにおかないのがこのお経であります。
また、「父母恩重経は私にとって、生前親不孝を重ねた懺悔のお経であります」とおっしゃられる方もおられます。
どうか皆さん方もご両親在(おわ)しまさぬ場合、ご命日に兄弟姉妹(ごきょうだい)でこのお経を読誦して頂きたい、
そしてはらからの情愛に心潤され合(お)うて頂きたいと思います。
幸いご両親ご健在の方は自分の誕生日に読誦して、人の心の初心にかえる感動の涙に心洗われて頂きたいと思います。
「大孝は終身父母を慕う。」(命ある限りいついつ迄も両親を慕い続ける事、それは真(まこと)の親孝行である)
これは中国の思想家、孟子さまのお言葉です。
孔子さまも孝経の中で、
「孝は徳の本なり。教への由(よ)って生ずる所なり(親孝行はすべての道徳の源であり、これなくして教育は成り立たない)」と教えて下さっています。
孝謙天皇の天平宝字元年(西紀七五七年)、天皇は各家庭に孝経をおいて読むようにとの勅を発しておられます。
以来、明治に至る迄、孝経は国民必読の書でありました。
私共が子供の頃はまだ孝経や論語の教えが学校で教えられていました。
それによって東洋的な無我と智恵、そして日本人のあたたかな宗教的情操の涵養が学校教育の場でいただくことができていました。
けれどもこれが涵養は学校教育の場から追放されているが如きが今日の現状です。
青少年非行化をふくめて各種もろもろの問題の大きな原因がこのあたりにあることに気づいてほしいものです。
それであるだけにどうか家族揃って父母恩重経を読誦していただき、はらからの情愛に心潤され合うていただきたい、
また人の心の初心に帰った感動の涙に心洗われていただきたいとひたすらに願いつつ、
全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、広く世にひろめていただく事に諸手(もろて)をあげて賛意を表します。
また、このお経のお話を申上げるときよく、「このお経が感恩・報恩の歌のお経ですか」とのおたずねを受けます。
そうですこのお経がまさしく感恩・報恩の歌のお経なのです。
この感恩の歌、報恩の歌は修養団の講師であり、また青少年の健全なる育成に生涯をささげ、昭和五十七年三月二十三日に九十六歳の天寿を全うされた竹内浦次翁の作になるものです。
翁がさる年慈愛深き御尊母がみまかられませし時に悲哭の思ひを父母恩重経に託しておつくりになりましたのがこの歌です。
旧制師範学校などで愛唱され、その訓導を受けたひとびとに語りつがれています。
どうかみなさまがたこの歌を黙読だけではなく声に出して朗読また御唱和をなさっていただき、潤はしい情操の養いの糧資を得ていただくことをお願いいたします。
合掌
この父母恩重経は永田文昌堂のご好意により同社編集部編纂の和訓を引用させていただきました。
昭和五十八年六月二十七日 発行
平成十九年四月一日 印刷
発行者
全日本宗教用具協同組合
〒104-0061
東京都中央区銀座七丁目14-3
TEL(03)3546-8550
FAX(03)3546-8551
銀行振込
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